Oct 3, 2011

森 - 岡崎京子

この本には、第一話で中断している『森』、単行本未収録の短編をいくつか、あと『ヘルタースケルター』などのカット集が収録されています。ページだけでも4種類以上の紙が使われているよ。

3.11の震災が起きて思い出したのは、『リバーズ・エッジ』の「ごらん、窓の外を。全てのことが起こりうるのを。」という言葉。
平坦な日常において惨劇は準備されている。
それは、人々のフラストレーションが潜在的に蓄積していくということでもあるけど、もうひとつの意味として、あらゆる天変地異がまさにこの瞬間にも起こるかもしれない、その事実を君は信じられる?って言っているようにも思える。
ああ、「不幸なことに不幸がない時代」が終わってしまったんだと思った。
平坦な戦場から、単なる戦場へ。

岡崎京子は時代の空気をすごく掴んでいて、さらに10年後20年後を見通してる感じがあるから、震災後の日本について、もし叶うなら語ってほしいと思っていました。「岡崎京子ならどう思うか」を必死に考えてた。

それで、新聞の書評にこの本が出ていたので買ってみた(『森』は『ヘルタースケルター』よりも後の作品)けど、これは、時代についての物語というより、人間の性(さが)に関するものであると思いました。だけどじゅうぶんおもしろいよ。

*

私たちは森にたやすく迷い込んでしまう。というのがこの話の軸になってますが、この意味は「私たちは些細な出来事に簡単に囚われてしまう。そしてそこから連想したり、過去を思い出したり、人と出会ったりして、いつのまにか大きな出来事となり、とうとう逆に巻き込まれてしまう」ということだと私は思いました。

つまり、「世界は勝手に文脈を持ってしまう」≒「私たちはつい世界に文脈を与えてしまう」。

自分なりに体系化した世界を「森」と呼んでいるので、これは内面世界ともいえるし、外界ともいえる、「自分が認知する世界」のことではないでしょうか。

たとえばヨコタは4つの死に出会った「去年」を「大量殺戮の年」と呼んでいる(社会的な出来事を「大量殺戮」と呼んでいるのかとも思ったけど...)。また、ヨコタとヒトミは、ベトナムと戦争でつながる。これが「すべてはばらばらでありつつ同時にすべてがつながっている」ということだと思う。というか、ばらばらなものが、つながっているように自ずと思えてしまう。

「森」は自ら見出したものなのにいつしか大きく育っていって(連想や妄想、経験によって)、そこに迷い込んで、囚われて、抜け出せなくなる(これは仏教のいう執着に似ている)。そしてそれに「すこやかに対処するのは とてもむつかしい」。

という話ではないかなと思いました。
ついてる解説とは違う風になっちゃったけど。

で、ヨコタとミソギが出会って、どうなるのか。
これがラブストーリーになっていくなら、渋い導入部分だなぁと思います。

*

『ヘルタースケルター』のカット集を見てあらためて、やっぱり、りりこ好きだな!っと思った。
りりこは冷めてるけど根性があって、だけどあきらめてて、自分の愚かさがわかってて、
自分を下げて笑う道化師的要素があって、サービス精神があって、おもしろい人だなぁ。
というのが絵から伝わってくる。
まあ話を読んだことあるからだとは思うけど、ばーっと思い出された。

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